2017年4月2日「派遣する教会」

聖書箇所:使徒の働き 13章1~3節
熊久保 公義 牧師

さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという予言者や教師がいた。彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」と言われた。そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。

聖書 新改訳©1970,1978,2003新日本聖書刊行会

 
世界宣教の主の召しに答えたアンテオケ教会の特徴は、癒し手や奇跡を行う力のある者たちの存在ではなく、

①みことばを伝える者たちがいたという点にありました。

性格も出身地も異なる教師陣の名前が挙げられているが、教会は語る人に注目したのではなく、語られるみことばを神の言葉として受け取ろうとしていました。みことばを聞く教会が成長するのです。

②教会自身も多種多様な人たちにより形成されていました。違いゆえに分裂するのではなく、信仰による一致がありました。

③主に仕えていた。

「礼拝していた。(2節)」とは直訳すると「仕えていた。」となります。人任せの信仰ではなく、一人一人が主になすべきことをしていたのでしょう。

④断食していた。

ここでの断食は、人間の必要を後回しにしてまで神のみこころを知りたいと願う信仰の現れです。みこころが示されたら応えたいとの思いで満ちていたのです。主の召しはそのような教会に与えられます。

⑤断食と祈りと按手によるサウロとバルナバとの派遣。

これらの行為は、宣教の責任は教会にあることを忘れていないことを示す。個人的な召しで宣教者が立つのではありません。召しは教会に与えられ、教会が彼らに委託し、彼らを送り出します。それゆえ祈る責任を教会は忘れません。私たちも小さな自己満足ではなく、ダイナミックな主の思いに応える群れとして整えられましょう。