2017年7月9日「何げなく放たれる弓」

聖書箇所:第一列王記22章29~40節
熊久保 公義 師

こうして、イスラエルの王とユダの王ヨシャパテは、ラモテ・ギルアデに攻め上った。そのとき、イスラエルの王はヨシャパテに言った。「私は変装して戦いに行こう。でも、あなたは、自分の王服を着ていてください。」こうして、イスラエルの王は変装して戦いに行った。アラムの王は、自分の配下の戦車隊長たち三十二人に命じて言った。「兵や将校とは戦うな。ただイスラエルの王を目指して戦え。」戦車隊長たちはヨシャパテを見つけたとき、「確かにあれはイスラエルの王に違いない。」と思ったので、彼の方に向かって行って戦おうとした。すると、ヨシャパテは助け叫び求めた。それで、戦車隊長たちは、彼がイスラエルの王ではないことを知った時、彼を追うことをやめ、引き返した。
ところが、ひとりの兵士が何げなく弓を放つと、イスラエルの王の胸当てと草摺の間を射抜いた。そこで、王は自分の戦車の御者に言った。「手綱を返して、私を敵陣から抜け出させてくれ。傷を負ってしまった。」その日、戦いはますます激しくなった。王はアラムに向かって、戦車の中に立っていたが、夕方になって死んだ。傷から出た血は戦車のくぼみに流れた。日没のころ、戦車をサマリヤの池で洗った。すると、犬が彼の血をなめ、遊女たちがそこで身を洗った。主が語られたことばの通りであった。アハブのその他の業績、彼の行ったすべての事、彼が建てた象牙の家、彼が建てたすべての町々、それはイスラエルの王たちの年代記の書に記されているではないか。アハブは彼の先祖たちと共に眠り、その子アハズヤが代わって王となった。

聖書 新改訳©1970,1978,2003新日本聖書刊行会

 
預言者の「命を落とすことになる」との警告を無視し、アハブ王はアラムに戦いを挑む。しかし預言者の言葉が気にはなっていたようで、アハブは一兵士の姿に変装し、共に参戦したヨシャパテには王服を着るよう指示した。変装は一時的に功を奏す。アラム軍は王服を着た者がアハブ王だと勘違いし、攻撃はヨシャパテに集中する。しかし、その時は突如訪れた。あるアラム兵が何気なく弓矢を放つと、たまたまそれがアハブ王の防具と腰当てのわずかな隙間を射抜いた。その傷が致命傷となってアハブは命を落とす。人間の策略は無に帰し、結局主のことばがことごとくその通り成就したのだ。
「変装」という行為への注意。みことばに変装で対処する姿は、みことばを聞いても真に悔い改めることをせず小手先で祝福を得ようとする態度だ。みことばに打たれることのないままで祝福はない。
何気ない弓の恐ろしさ。神の追及はどれほど変装を重ねて武装していたとしても、逃れられない。救いに置き換えれば、人はただ救いを受け入れたか否かが重要であり、見せかけではやがて思わぬ時に貫かれることになる。またみことばは必ずなることからも教えられる。みことばにもっと信頼して歩みたい。