聖書箇所:マタイによる福音書 13章44~46節
熊久保 公義 師
天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。また、天の御国は、良い真珠を探している商人のようなものです。すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。
聖書 新改訳©1970,1978,2003新日本聖書刊行会
イエスは天の御国に入ることについて(すなわち救いについて)例え話によって説明された。
①天の御国は宝のようなもの(44節)。
まず御国の価値が隠された宝として紹介されている。「人はその宝を見
つけるとそれを隠しておく」。それが自分とって切に必要だからだ。「大喜びで帰り持ち物を全部売り払って買う」。それは喜びを与えるものであり、検討するまでもなく行動に移していることから、すぐに手に入れるにふさわしいものである。さらにどんな持ち物よりも価値がある。救われることは、他人事ではない。あなたにこそ必要であり、あなたに喜びを与え、後の日ではなく今こそ手に入れるべきものである。
②天の御国は真珠を探している商人のようなもの。
今度は「宝」ではなくそれを手に入れる(た)「人」の姿を描写する。救いを知った人の生き方は、それを手に入れる日から地上において明らかな変化がみられる。現生活が、御国に憧れる生き方に変えられ、優先順位の逆転が起こるのだ。彼は御国のために受ける犠牲にも涙することがない。救いを得ている人はそのように生きることができる。