2017年7月23日「光の中を歩もう」

聖書箇所:第一ヨハネ 1章5~10節
近藤 恵 宣教師

神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行ってはいません。しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。もし、罪を犯していないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。

聖書 新改訳©1970,1978,2003新日本聖書刊行会

 
本箇所の要点を三つにまとめるならば、
①神は光であって暗いところが少しもない
②私たちは闇の中を歩んでいた
③罪赦された者たちは光の中を歩む者となろう
①を真の意味で知るためには、まず②を知らなければならない。私たちは果たして闇の中を歩むような罪人か。自分自身の歩みを振り返ればそれが分かる。多くの親族に支えられながら、私は他者に向かって、無関心であって、いつも自分自身の歩みのことを考えて優先させていた。外科の研修医になって以降も、評判の良い医者の噂を聞けばそれを妬み、患者が自分の手術の結果合併症を起こして亡くなられた際には他者や助手を責めた。自分の心には神ではなく自分が王となっており、自分の王国において歯向かう者があれば抹殺するとの心の実態があった。
しかし、賛美歌を聞きに教会に行くうちに、メッセージが心に届くようになる。神はご自身の方から哀れな罪人の私を救おうと駆け寄り、すべての犠牲を払われた。神は絶対的に正しいだけでなく、愛のお方であることを知った。まさに神は光である。
救われた者は、その後も日常の罪を悔い改め続け、光のうちを歩もうとする者に変えられる。異物が体内に残っているうちは体が痛み続けるように、神は私たちを完全にするために、内に残っている罪を表に出させようとしてくださるのだ。