聖書箇所:マタイによる福音書 5章14~16節
熊久保 公義 師
あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
聖書 新改訳©1970,1978,2003新日本聖書刊行会
山上での説教の冒頭で、イエスは救われた人の特徴を三人称で客観的に述べてきたが、本箇所は「あなたがたは世界の光」と、二人称で語る。キリスト者全員の自覚を促させ、それ以外は光とはなりえないことを教えるのである。世の知者や偉大な社会改革者も光ではないとは驚きだが、確かに彼らの功績は見事であってもそれによって人の本質が変えられることには至らない。人の何が問題か(罪のこと)も、またその問題をいかにして解決できるのかも示さない点でそれらは光ではない。
キリスト者は、光であり誰が見ても明らかにそれとわかる。山の上の町がどの角度から見ても認識されるように、世と根本的に異なるキリスト者の性質(光)は知れ渡る。臆して光を隠すことはランプを隠す滑稽な行動だ。世に埋没しているキリスト者は他者に何の影響も及ぼさない。/隠してはならない光とは、私たちが信じている内容それ自体のことである。キリストの十字架と復活。私たちの信仰といのちの根幹はそこにかかる。これは世には愚かなメッセージであっても、神の力であり人々の真の必要だ。また一方で光とは良い行いのことでもある。語るよりも先に救われた人の性質(愛すること仕えること等)をそれぞれの場で表したい。人はそれによって神を崇めるようになるのであり、それ抜きの宣教はあり得ない。