2017年9月10日「ルステラでの宣教」

聖書箇所:使徒14章8~18節
熊久保 公義 師

ルステラでのことであるが、ある足のきかない人がすわっていた。彼は生まれつき足のなえた人で、歩いたことがなかった。この人がパウロの話すことに耳を傾けていた。パウロは彼に目を留め、いやされる信仰があるのを見て、大声で、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言った。すると彼は飛び上がって、歩き出した。パウロのしたことを見た群衆は、声を張り上げ、ルカオニヤ語で、「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ」と言った。そして、バルナバをゼウスと呼び、パウロがおもに話す人であったので、パウロをヘルメスと呼んだ。すると、町の門の前にあるゼウス神殿の祭司は、雄牛数頭と花飾りを門の前に携えて来て、群衆といっしょに、いけにえをささげようとした。これを聞いた使徒たち、バルナバとパウロは、衣を裂いて、群衆の中に駆け込み、叫びながら、言った。「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。過ぎ去った時代には、神はあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられました。 とはいえ、ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。」 こう言って、ようやくのことで、群衆が彼らにいけにえをささげるのをやめさせた。

聖書新改訳©1970,1978,2003新日本聖書刊行会

 
パウロらは迫害に遭遇してルステラの町にやってきた。ルステラで、パウロは足の萎えた男性を見て、彼が救いを喜んで受け取る準備があることを知り(9節脚注)、「自分の足でまっすぐに立て」と大声で命じた。当時は救いと身体の癒しがセットで行われることが多くあり、奇跡はめぐみのみことばの証明とされた(3節)。「大声で」とは、癒された本人とそれを見ていた者たちに、この奇跡が単なる自然現象ではなくイエス・キリストを主として信じる信仰によってなされたものであることを自覚させるためだ。
救いとは、生まれつき歩けなかったものの足が一瞬にして治り、飛び跳ねさせるほどの立場の変化である。実感が追いつかずとも、自身の霊的事実を自覚し続けたい。
この町には、その昔ゼウスとヘルメスという神々が来訪した際に住人たちがそれと気づけず失礼な対応を取った、との伝説があった。その反省のためだろう、奇跡を見た住人は二人こそゼウスとヘルメスだと認識し、彼らを崇めようとする。
パウロはその行動に憤慨し、「過ぎ去った時代」は神を知らぬ有り様が許容されてきたが、キリストが来られた今や、あなたがたはそのような考えでいてはいけないと迫る。救いの道がはっきりイエスにより明らかにされた今、私たちもまことの神を主とするように立場をはっきりさせなければならない。