2018年4月15日「キリスト・イエスの内にある思い」

聖書箇所:ピリピ2章1-5
熊久保 公義 師

ですから、キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、あなたがたは同じ思いとなり、同じ愛のの心を持ち、心を合わせ、思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。それぞれ、自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。
キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 
 
 教会の奉仕の原動力は何か。プレッシャーか、やる気か、あるいはやらなければ大変なことになると
いう恐れだろうか。否、本箇所でパウロは教会の一致を勧め互いに他者を顧みるようにと命じた際にそ
の前提を1節にまとめている。

 当時ピリピの教会は迫害や間違った神学で苦しみを覚えていたが、そのただなかで信徒は主によって支えられていた。キリスト者は世にあっては苦しむものの、決して変わることのないキリストの恵みや神の愛を覚えることができる。獄中にいたパウロは自身の経験と重ねて教会を諭す。「ですからキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら」(1節)。すでにそれらが苦しむ信徒一人一人に与えられえていると言うのだ。パウロが良く使う表現であり、礼拝の祝祷と似ている。「キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の親しき交わり」。これらはすべて神が信徒に絶えず与えてくださるものだ。
 これらの神の愛情とあわれみを受けているものは、もはや自分を誇らず教会の一致のため他者に仕える者となる。奉仕の動機はこれだ。