2018年4月29日「イエスの権威といやし」

聖書箇所:ルカ4章31~39節
熊久保 公義 師

それからイエスは、ガリラヤの町カペナウムに下られた。そして安息日には人々を教えておられた。人々はその教えに驚いた。そのことばに権威があったからである。そこの会堂に、汚れた悪霊につかれた人がいた。彼は大声で叫んだ。「ああ、ナザレの人イエスよ、私たちと何の関係があるのですか。私たちを滅ぼしに来たのですか。私はあなたがどなたなのか知っています。神の聖者です。」イエスは彼を叱って、「黙れ。この人から出て行け」と言われた。すると悪霊は、その人を人々の真ん中に投げ倒し、何の害も与えることなくその人から出ていった。人々はみな驚いて、互いに言った。「このことばは何なのだろうか。権威と力をもって命じられると、汚れた霊が出ていくとは。」こうしてイエスのうわさは、周辺の地域のいたるところに広まっていった。
イエスは立ち上がって会堂を出て、シモンの家に入られた。シモンの姑がひどい熱で苦しんでいたので、人々は彼女のことをイエスにお願いした。イエスがその枕元に立って熱を叱りつけられると、熱がひいた。彼女はすぐに立ち上がって彼らをもてなし始めた。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 
イエスの言葉には権威があったことが報告されている。それはまず会堂で語られた。誰であっても権威ある者の言葉には重みと影響力があるが、イエスの言葉は神の言葉と等しく、聞いた人は腰を抜かすほど驚いた。同じ言葉は悪霊につかれた男にも語られる。イエスは悪霊自体に命令し、語ればその通り悪霊が従った。さらに同日、シモンの家の熱病で苦しむ女性にも語られる。熱病自体に語ることができ、熱は言われたおり彼女を解放した。
神のことばには力があり、どの場面でもその通りになるのである。同じ神のことばであるみことばを、私たちは主の言葉として聞いているか。それは私を必ず変える力がある。しかも熱のような家庭的な領域にも語られてそれを解決する力がある。個人的な悩みを抱えることもあろう。しかしみことばはそこにも作用し私を解放することができるのだ。