「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」(Ⅰコリント人への手紙10章31節) ※参照 ローマ14章21-23節」
厳しい状況の中での礼拝について、どの教会も対応について苦慮しています。礼拝は休むべきではないという意見、周りへの配慮から集る礼拝を休止すべきとの意見、どちらもあります。
これに似た状況について、私たちが思い浮かべることができるのは、コリント教会にあった、偶像に捧げた肉を食べるかどうかの議論です。当時、「偶像に捧げた肉は食べるべきではない」という意見と、「偶像の神など実際にはいないのだから食べ続けてよい」という意見があり、当時は教会が分裂しかねない論点となりました。パウロは、①どちらも信仰によって決断しているならば良い。②またどちらであっても信仰から決断していないならば良くない、とコメントしました。
他者や諸々の状況への愛や配慮から集っての礼拝をお休みされることは、信仰の一つの現われで、それは素晴らしいことです。一方で、どのような状況になっても主を礼拝します、と信仰によって決断されることも尊い姿勢で、それも素晴らしいことでしょう。大事なのは、違う立場を持った方や違う立場を取った教会を批判しないで尊重するということです。一方でどちらを取るにしても気をつけていなければいけないのは、礼拝に必ず来ますという立場を取りながら、他者への愛がなくなることであり、集う礼拝をお休みしますと決断しながら、その決断の背後に神ではなく世論や他者の目を恐れているものがあることについてです。
緊急事態宣言を受け、かもい聖書教会は集っての礼拝を休止し、皆さんにご自宅での礼拝をお願いすることになりました。このときますます一致を保ち、世界のため、国のため、教会のため、隣人のため、祈ってまいりましょう。