「ですから、大人である人はみな、このように考えましょう。もしも、あなたがたが何か違う考え方をしているなら、そのことも神があなたがたに明らかにしてくださいます。ただし、私たちは到達したところを基準にして進むべきです。」ピリピ3章15-16節
救われた後の歩みについて述べている教えの結論部分である。①「大人である人はみな、このように考えよう」とは、成熟を目指す人たちに向けて、救いは一度で満足して歩みを留めるものではないという考えをパウロと同じく持つようにとの勧めだ。結論が、「せよ」「なれ」ではなく「考えよう」であることは意味がある。行動は、信仰理解から来るものであるからだ。信じている通りに外側の行動は表れ出る。救いをどう理解し、その後何を目指すかしっかりと考えている人たちは、正しい行いに至る。②「そのことも神があなたがたがに明らかにしてくださる」とは、間違った考えや偏った理解をもっているならば、神が正しく教えてくださるという内容だ。みこころを理解することは人間の知恵によるのではない。聖霊なる神が私たちを教え導いてくださることに慰められる。③「ただし到達したところを基準にして進むべきだ」とは、全てを正しく理解させていただくまで進まなくてよいという言い訳を打ち消す。それぞれすでに神が教えてくださったことがあるはずだ。それに基づいて進むべきだ。