神中心の礼拝に

「あなたがたの神、主に対しては、そのように礼拝してはならない。」申命記12:4

 コロナ禍の中で、インターネットの恩恵は大きい。自宅でも、ともに主を礼拝することができることは感謝なことである。一方で上記の箇所は、礼拝する際の注意点を述べている。
申命記12章は、異教徒の礼拝の様子をまず語る。彼らは高い山の上、丘の上、また青々と茂るどの木の下でも祭壇を作った。生活の領域に、(お手軽な)礼拝の場ができ、自分の安全や祝福を祈願したでのある。 しかし神は、「そのように礼拝してはならない」と語られ、続けて「ただ、あなたがたの神、主がご自分の住まいとして御名を置くために、・・選ばれる場所を尋ねて、そこへ行かなければならない。」(申命記12章5節)と言われた。これは、異教徒たちの礼拝が、自己中心であることに対する警告である。彼らは、犠牲を払わず自身が祝福されるために礼拝した。しかしまことの神礼拝は、むしろ私たちが神が定めた場に来て、神中心の礼拝を捧げるのである。結果として礼拝者が祝福されることはあるが、自分の歩みの祝福は礼拝の目的ではない。
 自宅で捧げるリモートの礼拝も主は喜んで受け取ってくださる。一方で注意も必要だろう。捧げる時間も、自分のスケジュールに合わせてあまった時間で行うことが出来てしまう。益になりそうな教えだけを抜粋したり、自分のお気に入りの礼拝を視聴したりすることもできる。こうしていつの間にか、主導権が神ではなく、自分自身にあるかのようになっていき、捧げ、仕える側面が失われる危険性もある。
行くにしても、自宅で捧げるにしても、また今後状況がどのように変わったとしても、神のために生きる者としての礼拝をお捧げしたい。