御霊のからだ

「血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。」(Ⅰコリント15章44節)

パウロは1コリント15章で、アダムとイエス・キリストの対比を用いて復活の希望を語ります。アダムの子孫として私たちは、血肉のからだを受け継ぎ、やがて死にゆく者です。それと同じように、イエス・キリストにある者たちは、イエスが死んで甦られたように、やがて新しい御霊のからだを受け継ぐことが約束されています。この地上では血肉の体ゆえの弱さ(疲れや痛み、罪の影響を受ける弱さ)を経験する私たちですが、やがては天で何の弱さをも持たない、完全な御霊のからだをいただく希望があるのです。

地面を這いつくばるしかできないイモムシが、やがては蝶として空を羽ばたけることを夢見て地上での困難を乗り越えているように(イモムシの気持ちは実際には知りませんが・・)、私たちはやがての御霊の体を確信して、今の様々な弱さを覚える生活をもあきらめたりふてくされたりすることなく、しっかりと立って乗り越えていくのです。1コリント15章はこう閉じられます。「ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。」(58節)。コロナの閉塞感、そこから来る疲労感の何と強いこと。しかしその只中でも揺るがない希望をいただく私たちの生き方は何と確かなこと!

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