聖書箇所:ルカの福音書 5章1~11節
熊久保 公義 牧師
群衆がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸辺に立っておられたが、岸辺に小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言われた。するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」そして、そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになった。そこで別の舟にいた仲間の者たちに合図をして、助けに来てくれるように頼んだ。彼らがやって来て、そして魚を両方の舟いっぱいに上げたところ、二そうとも沈みそうになった。これを見たシモン・ペテロは、イエスの足元にひれ伏して、「主よ、私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから。」と言った。それは、大量のため、彼もいっしょにいたみなの者も、ひどく驚いたからである。シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンにこう言われた。「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」彼らは、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従った。
聖書 新改訳©1970,1978,2003新日本聖書刊行会
「永遠のいのちとは神と神が遣わされたイエス・キリストを知ることです。」とヨハネ17章3節にあります。「知る」とは、そのお方との関係をもって生きることを含む言葉です。シモンはそれまでもイエスを知っていたつもりではあったが、本箇所の出来事を通して「先生」という呼びかけが「主よ」に変わります。シモンがイエスを真の意味で知るに至った経緯はまず、
①イエスがシモンと一対一の関係に引き寄せて下さったことから始まりました。
舟の上から群衆に語るイエスの説教をシモンは一番間近で聞いていました。しかし、大勢の中の一人である自分とイエスという関係性ではまことにイエスを知るということには至らなかったのです。私たちも、説教を聞いているだけでは自分が変わらないと心配になるかもしれないが、聞き続ける者には必ず主が他でもない私に直接声をかけてくださっていることが分かる時が来るのです。
②イエスの言葉に従って、プライドが砕かれる経験をしました。
一晩中漁を続けたが魚が捕れなかったシモンにイエスは再度漕ぎ出して網を下すよう命じます。従い難い言葉ではあったが、シモンは委ねてその通り行った。イエスの言葉に従うということは時に自分のプライドが傷つくこともある。しかし、信じてその通りに従う時、イエスを真に知り、同時に自分の罪深さとその赦しをも知ることになるのです。