Happy Easter!
最近は日本でもよく耳にするようになったイースター。日本語では「復活祭」と言います。
クリスマスはイエス・キリストの誕生を祝う日ですが、イースターはイエス・キリストの死後、三日目の日曜日の朝にイエス・キリストが墓の中から復活したことを祝うクリスチャンにとってはとても大切な日です。クリスチャンではない方にしてみれば、不思議に思えるかもしれません。しかし、イエスの復活はキリスト教に、そしてクリスチャンになくてはならないものなのです。
コリント人への手紙 第一 15章 3 ~ 5節
私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。
キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。
この箇所は聖書によく登場する「福音(良い知らせ)」とはなにかを要約した箇所です。この言葉の何が「良い知らせ」なのか、多くの人は首をかしげるでしょう。何よりも「死者の復活などあり得ない!」とほとんどの人が考えるでしょう。聖書が書かれた当時にも、そう考えた人がいたようです。
コリント人への手紙 第一 15章 13 ~ 15節
もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。
そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。
それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。
なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。
コリント人への手紙 第一 15章 19 ~ 20節
もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。
しかし、今やキリストは眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
クリスチャンはイエスの復活が歴史上の事実だと信じます。
私たちはイエス・キリストに単なる希望を置いているのではありません。私たちの抱く希望は、様々な弱さや罪だらけの私たちが、復活のイエス・キリストと同じように復活させられるという約束の希望なのです。私たちは、このイエス・キリストの復活によって、全人類共通の問題である罪と死に対する圧倒的な勝利が与えられるのです。クリスチャンはこの与えられた勝利を喜び祝います。これが教会で祝われているイースターなのです。
コリント人への手紙 第一 15章 56 ~ 57節
「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えて下さいました。
素敵なイースターをお過ごしください。
聖書 新改訳©1970,1978,2003新日本聖書刊行会