聖書箇所:Ⅰ列王記 20章 19~25節
熊久保 公義 牧師
町から出て来たのは、諸国の首長に属する若い者たちと、これに続く軍勢であった。 彼らはおのおのその相手を打ったので、アラムは逃げ、イスラエル人は追った。アラムの王ベン・ハダデは馬に乗り、騎兵たちといっしょに、のがれた。イスラエルの王は出て来て、馬と戦車を分捕り、アラムを打って大損害を与えた。
その後、あの預言者がイスラエルの王に近寄って来て言った。「さあ、奮い立って、これからなすべきことをわきまえ知りなさい。来年の今ごろ、アラムの王があなたを攻めに上って来るから。」そのころ、アラムの王の家来たちは王に言った。「彼らの神々は山の神です。だから、彼らは私たちより強いのです。しかしながら、私たちが平地で彼らと戦うなら、私たちのほうがきっと彼らより強いでしょう。
こういうようにしてください。王たちをそれぞれ、その地位から退かせ、彼らの代わりに総督を任命し、あなたは失っただけの軍勢と馬と戦車とをそれだけ補充してください。彼らと平地で戦うなら、きっと私たちのほうが彼らより強いでしょう。」彼は彼らの言うことを聞き入れて、そのようにした。
聖書 新改訳©1970,1978,2003新日本聖書刊行会
アラムと北イスラエル王国との戦いには神の目的が二つある。一つは神ご自身を知らしめるためであり、もう一つは北イスラエルのアハブ王が信仰に立ち返るための介入である。
今日でも世界情勢は日々変化しているが、私たちは神の思いに注目させられたい。神とはどなたか、私と神との関係はどうであるか、心を探られるのである。
アラムは一度目の戦いに敗北した時、イスラエルの背後に主がおられることを意識させられたが、その神認識は「イスラエルの神々は山の神であるから」というものだった。次回は平地で戦えば負けないと言うのである。確かに数で勝るアラムの力を最大限発揮させるには戦場が平地であることが望ましい。神はしかしこの誤った(多神教的、力が限定される)神認識を正すために臨まれ、再度イスラエルに大勝利をもたらされた。
神は限定されるお方ではなく、私たちの全領域におられるお方である。唯一の神への信仰に立ち返るなら、生き方が一貫させられる。人を恐れず神のみを恐れ、罪を悔い改め、善に飽くことなく歩めるのだ。私たちの歩みはこのお方を知っている者としての歩みとなっているだろうか?