2017年6月11日「太陽とみことば」

聖書箇所:詩編19編1~14節
熊久保 公義 牧師

天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。
しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てにまで届いた。神はそこに、太陽のために、幕屋を設けられた。太陽は、部屋から出て来る花婿のようだ。勇士のように、その走路を喜び走る。その上るのは、天の果てから、行き巡るのは、天の果て果てまで。その熱を、免れるものは何もない。
主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。
主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。また、それによって、あなたのしもべは戒めを受ける。それを守れば、報いは大きい。
誰が自分の数々の過ちを悟ることができましょう。どうか、隠れている私の罪をお赦しください。あなたのしもべを、傲慢の罪からお赦しください。それらが私を支配しませんように。そうすれば、私は全き者となり、大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、主よ。

聖書 新改訳©1970,1978,2003新日本聖書刊行会

 
詩編19編は、一見太陽とみことばの二つのテーマの詩に分けることができそうであるが、両者は密接に結びついている。
①被造物全体が神を指し示している(1-6節)。聴覚を通しては聞こえてはこないが、詩の作者であるダビデは天(全宇宙を含め)を見上げればこの世界が神によって造られ、今もなお神が治めておられることについてのメッセージを聞き取れるのではないかと言う。太陽はまぶしい光と共にこの地全体を行き巡るが、神についての呼び声は地の果てまで届いており、誰も神を知らなかったなどとは言えないのだ。
②響き渡るみことば(7-11節)。太陽の光になぞらえて、神のみことば(聖書の言葉)も私たちに語られていると言う。その言葉を受け止めるならば、日の光を受けるかのごとく、魂が生き返り、賢くされ、喜びが沸き起こる。神をひとたび知ると、自然界の賛美をはっきりと聞き取れると共に、聖書の言葉が何よりも好ましいものになるのだ。
③みことばは悔い改めに至らせる(12-14節)。光が内側の闇の部分にも届くと、誰も傲慢ではいられなくなり、神の前にひれ伏して罪の赦しを願うようになる。これぞ神を知る者(救われた人)の特徴である。尽きぬ喜びと真の謙虚さが与えられるのだ。