聖書箇所:第一列王記21章1~14節
熊久保 公義 師
このことがあって後のこと。イズレエル人ナボテはイズレエルにぶどう畑を持っていた。それはサマリヤの王アハブの宮殿のそばにあった。アハブはナボテに次のように言って頼んだ。「あなたのぶどう畑を私に譲ってもらいたい。あれは私の家のすぐ隣にあるので、私の野菜畑にしたいのだが。その代わりに、あれよりもっと良いぶどう畑をあげよう。もしあなたがそれでよいと思うなら、それ相当の代価を銀で支払おう。」ナボテはアハブに言った。「主によって、私には、ありえないことです。私の先祖のゆずりの地をあなたに与えるとは。」アハブは不きげんになり、激しく怒りながら、自分の家に入った。イズレエル人ナボテが彼に、「私の先祖のゆずりの地をあなたに譲れません。」と言ったからである。彼は寝台に横になり、顔をそむけて食事もしようとはしなかった。
彼の妻イゼベルは彼のもとにはいって来て言った。「あなたはどうしてそんなに不きげんで、食事もなさらないのですか。」そこで、アハブは彼女に言った。「私がイズレエル人ナボテに『金を払うからあなたのぶどう畑を譲ってほしい。それとも、あなたが望むなら、その代わりのぶどう畑をやってもよい。』と言ったのに、彼は『私のぶどう畑はあなたに譲れません。』と答えたからだ。」妻イゼベルは言った。「今、あなたはイスラエルの王権をとっているのでしょう。さあ、起きて食事をし、元気を出してください。この私がイズレエル人ナボテのぶどう畑をあなたのために手に入れてあげましょう。」
彼女はアハブの名で手紙を書き、彼の印で封印し、ナボテの町に住む長老たちとおもだった人々にその手紙を送った。手紙にはこう書いていた。「断食を布告し、ナボテを民の前に引き出してすわらせ、彼の前にふたりのよこしまなものをすわらせ、彼らに『おまえは神と王をのろった。』と言って証言させなさい。そして、彼を外に引き出し、石打ちにして殺しなさい。」
そこで、その町の人々、つまり、その町に住んでいる長老たちとおもだった人々は、イゼベルが彼らに言いつけたとおり、彼女が手紙に書き送ったとおりを行った。彼らは断食を布告し、ナボテを民の前に引き出してすわらせた。そこに、ふたりのよこしまな者がはいって来て、彼の前に座った。よこしまな者たちは民の前で、ナボテが神と王をのろった、と言って証言した。そこで人々は彼を町の外に引き出し、石打ちにして殺した。
こうして、彼らはイゼベルに、「ナボテは石打ちにされて殺された。」と言ってよこした。
聖書 新改訳©1970,1978,2003新日本聖書刊行会
本箇所は前章までの大きな戦争の記録に比べればスケールの小さな出来事だ。しかし、人の信仰の姿勢はこうした日常の出来事の中に表されるのであり、この場面をもってアハブ王に対する最終的な裁きが宣告された。
アハブは首都の他にイズレエルにも宮殿を持っていたが、隣接地のナボテ所有のぶどう畑が気にいらない。買い取ってこれを緑の園にしようとナボテに話を持ちかけた。神を恐れるナボテにしてみれば、どんな条件であっても受け入れられない話である。約束の地は主との契約に生きていることの一つの印であり、自分の都合で手放すことはとてもできない。
①不機嫌になるアハブ。
アハブは道が閉ざされ食事も喉を通らないほどに憤る。以前にも預言者の言葉に対して不機嫌になる傾向があった。立ち返らせてくださる神の介入を素直に受け取ることが出来ないのだ。
②人任せの姿勢。
妻がアハブに変わってナボテを罠に陥れ、いわれのない罪によって石打ち刑に処す。犯罪者への罰として土地の没収が可能となり、ぶどう畑を自身の手に入れようとするアハブ。彼は妻に責任を押し付けられると考えたのであろうが、神の前に彼自身が責任をもって生きていないこと自体が、神への信仰を持たないことの証しになった。日常において、私たちは主に対して生きているか?