聖書箇所:第一列王記22章1~8節
熊久保 公義 師
アラムとイスラエルとの間には戦いがないまま三年が過ぎた。しかし、三年目になって、ユダの王ヨシャパテがイスラエルの王のところに下って来ると、イスラエルの王は自分の家来たちに言った。「あなたがたは、ラモテ・ギルアデが私たちのものであることを知っているではないか。それなのに、私たちはためらっていて、それをアラムの王の手から奪い返していない。」それから、彼はヨシャパテに言った。「私といっしょにラモテ・ギルアデに戦いに行ってくれませんか。」ヨシャパテはイスラエルの王に言った。「私とあなたとは同じようなも、私の民とあなたの民、私の馬とあなたの馬も同じようなものです。」
ヨシャパテは、イスラエルの王に言った。「まず、主のことばを伺ってみてください。」そこで、イスラエルの王は約四百人の預言者を召し集めて、彼らに尋ねた。「私はラモテ・ギルアデに戦いに行くべきだろうか。それとも、やめるべきだろうか。」彼らは答えた。「上って行きなさい。そうすれば、主は王の手にこれを渡されます。」ところが、ヨシャパテは、「ここには、私たちがみこころを求めることのできる主の預言者がほかにいないのですか。」と言った。イスラエルの王はヨシャパテに答えた。「いや、ほかにもうひとり、私たちが主のみこころを求めることのできる者がいます。しかし、私は彼を憎んでいます。彼は私について良いことは預言せず、悪いことばかりを予言するからです。それは、イムラの子ミカヤです。」すると、ヨシャパテは言った。「王よ、そういうふうには言わないでください。」
聖書 新改訳©1970,1978,2003新日本聖書刊行会
3年前、アラムとの戦いでの勝利により、元来イスラエルの土地であった町々が返却されることになった。しかし一向に町が返ってこない。イスラエルの王アハブはユダの王ヨシャパテと縁を結び、今こそアラムと戦って町を取り返すべきではないかと考えた。信仰者でもあるヨシャパテの提案で戦いに出て行くべきか否か、まず主の言葉を聞こうとする。イスラエルの宮廷預言者400人が集められることになったのだが、彼らはアハブの顔色ばかり見て彼の気に入るようなことしか語れなかった。真の預言者ミカヤが呼び出され、ようやく主の言葉が語られる。しかし、この戦いでアハブが命を落とすこと、この出来事は主のさばきであること等が語られ、アハブはまたも不機嫌になった。
アハブは決断前に一応主のことばを聞こうとはしたが、それは自分の願いに合うことばを取捨選択しているだけであり、罪を示すことをも含む主の御思いを求めていたのではなかった。私たちも何を聞きたいのか問われる。有り様をそのまま認めてくれる励ましではなく、私を主のみこころのために整えるみことばをそのまま受け入れたい。砕くみことばには耳をふさいだまま、ただ祝福ばかりを求めることはみことばを聞く姿勢として幼い。