聖書箇所:創世記28 章10~17節
熊久保 公義 師
ヤコブはベエル・シェバを出て、ハランへと向かった。彼はある場所にたどり着き、そこで一夜を明かすことにした。ちょうど日が沈んだからである。彼はその場所で石を取って枕にし、その場所で横になった。
すると彼は夢を見た。見よ、一つのはしごが地に立てられていた。その上の端は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしていた。そして、見よ、主がその上に立って、こう言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしは、あなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西へ、東へ、北へ、南へと広がり、地のすべての部族はあなたによって、またあなたの子孫によって祝福される。見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」
ヤコブは眠りから覚めて、言った。「まことに主はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった。」彼は恐れて言った。「この場所は、なんと恐れ多いところだろう。ここは神の家にほかならない。ここは天の門だ。」
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
ヤコブは守られた家族の中にいる時、自身を信仰者として自覚していたかもしれないが、実態は兄や父親を騙しても心を痛めることがなく、自分で祝福をつかみ取ろうとする者であった。その彼は自業自得のように、一人家を離れ遠い国に旅立たなければならなかった。その際にも彼は神を求めることも祈ることもできない。
主はそのようなヤコブに目を留めてくださった。ヤコブは天から地に向けてかけられたはしごを天使が上り下りする夢を見たが、
それは
①神の側がヤコブの元に近づいてくださったこと、
②信仰とは天と地を分離する生き方ではなく神を信じる有り様で地を生きることであること、
とを示している。神はまた直接ヤコブに語られ、彼の祖父と父にも約束した契約を彼にも与えて契約を更新された。さらに主はヤコブを見放さず彼から離れないとも言われた。
主の一方的な恵みあわれみを受け、ヤコブは初めて神を自分の神として礼拝する。私たちも一人苦難を経験することを通し、神の憐れみを深く味わうことがあろう。主を己の神として地を生きる生き方に招かれる者は幸いだ。