「さあ、起きて町を行きめぐり、通りや広場で、私のたましいの恋い慕う方を探して来よう。」私が捜しても、あの方は見つかりませんでした。町を行き巡る夜回りたちが私を見つけました。「私のたましいの恋い慕う方を、お見かけになりませんでしたか。」私は彼らのところを通り過ぎると間もなく、私のたましいの恋い慕う方を見つけました。私はこの方をしっかり捕まえて放さず、ついには私の母の家に、私を身ごもった人の奥の間に、お連れしました。(雅歌3章2-4節)
雅歌はソロモン王を愛し慕う女性とソロモン王自身のことばの掛け合いにより進展していく。それは神と神を愛し慕う信仰者の様子にも置き換えられる。上記の歌は、夜に王を求めて探し回る恋する女性の姿が描かれているが、私たちも同じように主をたましいの内から慕い求めたい。この時期、必要は多くあるように思える。しかし何よりも必要なのは主ご自身との関係である。起きて考えること、それは私の心配事ではなく、主のことでありたい。私たちはみことばにより神にお会いすることができる。どの時間であろうと、神を愛し、みことばを探り求め、しっかりとみことばを握って放さず、主との関係に生きる者でありたい。