聖書箇所:使徒の働き 13章44〜52節
熊久保 公義 師
次の安息日には、ほとんど町中の人が、神のことばを聞きに集まって来た。しかし、この群衆を見たユダヤ人たちは、ねたみに燃え、パウロの話に反対して、口ぎたなくののしった。そこでパウロとバルナバは、はっきりとこう宣言した。「神のことばは、まずあなたがたに語られなければならなかったのです。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者と決めたのです。見なさい。私たちは、これからは異邦人のほうへ向かいます。なぜなら、主は私たちに、こう命じておられるからです。
『わたしはあなたを立てて、異邦人の光とした。あなたが知の果てまでも救いをもたらすためである。』
異邦人たちは、それを聞いて喜び、主のみことばを賛美した。そして、永遠のいのちに定められていた人たちは、みな、信仰に入った。こうして、主のみことばは、この地方全体に広まった。ところが、ユダヤ人たちは、神を敬う貴婦人たちや町の有力者たちを扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、ふたりをその地方から追い出した。ふたりは、彼らに対して足のちりを払い落して、イコニオムへ行った。弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。
聖書 新改訳©1970,1978,2003新日本聖書刊行会
ピシデヤのアンテオケでの宣教は安息日にユダヤ教の会堂で開始されたが、次の週には町中からユダヤ人と異邦人が殺到するほどの反応を示した。彼らはパウロの説教を聞いて心打たれたのであるが、それは体験談や感動のたとえ話ではなく、旧約聖書から救い主イエス・キリストが解き明かされるメッセージであった。彼らはもっとみことばを聞きたいと、次の週もやってきたのである。
こうした状況を妬ましく思ったユダヤ人指導者たちは、パウロの説教を口汚くののしった。これによって、パウロが宣べ伝える対象は異邦人に向かうことになったのであるが、異邦人たちはみことばを通して、こうした事態も聖書に預言されていたことであり、自分たちが救われるのは神のみこころであるということを悟った。それで、彼らはただ喜んだのではなく、主のみことばを賛美したのである。結果的に迫害は続き、パウロとバルナバはやむを得ずその地を離れなければならなかったのであるが、生み出されたばかりの教会は、それでも喜びと聖霊に満たされていた。
イエス・キリストを指し示すみことばから私たちは救いの確信を得ることができ、みことばを通して喜びと聖霊の満たしを受ける。私たちは何を聞こうとしているか。みことばが正しく解き明かされることを期待して集いたい。