2018年4月1日「買い取られた“からだ”」

聖書箇所:Ⅰコリント620節、ローマ63-8
熊久保 公義 師

「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現わしなさい。」 Ⅰコリント人への手紙 620

 

それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。死んだ者は、罪から解放されているのです。私たちがキリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きることにもなる、と私たちは信じています。 ローマ人への手紙 63-8

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 
性を礼讃する町の影響を受けたのであろう、コリント教会には性的不品行がはびこっていた。パウロは彼らに説得をする。
①「あなたがたは代価を払って買い取られたのです」とは、キリスト者にかけられた救いの代価の価値を自覚させる言葉である
自分にいくらの代価が支払われているかを正しく認識することがキリスト者生活を清潔に進ませるか否かを決める。キリストは完璧で高価な代価だ。神が人となる犠牲を払い、死にまでも忠実に歩み実に死後の滅びまで経験された代価だ。この代価は神に支払われた神を満足させる代価でもある。このような代価が私のために支払われたので、私は罪の裁きを免れるのである。高価な代価が支払われている事実を覚える者は清潔の道を歩む。
「からだをもって神の栄光を」との勧めは、キリスト者は魂だけでなく体も買い取られている事実に目を向けさせる。
ローマ6章に書いてある通り、キリスト者はキリストの死と復活に与り、古い罪のからだが死んで新しいからだとして生きることができる特権がある。自分がもはや新しいからだを頂いていることをも自覚しよう。この二つの事実を覚えて歩むことが、キリスト者生活の鍵である。