2018年4月8日「イエスの役割」

聖書箇所:ルカ4章14-21
熊久保 公義 師

イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が周辺一帯に広まった。イエスは彼らの会堂で教え、すべての人に賞賛された。
それからイエスはご自分が育ったナザレに行き、いつもしているとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その巻物を開いて、こう書いてある箇所に目を留められた。
「主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には開放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、主の恵みの年を告げるために。」
イエスは巻物を巻き、係りの者に渡して座られた。会堂にいた皆の目はイエスに注がれていた。イエスは人々に向かって話し始められた。「あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書のことばが実現しました。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 
 
 同じ説教を聞いて、ナザレの人々の反応は真っ二つに分かれた。しかもその大半はイエスに否定的な反応である。反対した人々は、イエスの語るみことばそのものではなく、イエスの生育の様子等外見的な部分にばかり注目してしまったのであろう。主のみことばは神から与えられているものだとの信頼がなければ人の内に入らない。
 イエスはメシア(油注がれた者)は自分であるとみことばの権威と自分の言葉の権威によって解き明かす。油注がれる者の役割とは①預言者、②祭司、③王であり、イエスはご自分こそ、その真の役割を果たす者であると解き明かされた。イエスこそ神のみことばの解き明かし手であり、神と人とを結びつけられる方であり、まことの支配者である。またイエスは弱く霊的な貧しさを覚える(神の前で認められえない)者に福音を伝え、心の目を開き、さらには罪にとらわれた者を解放されるために神から遣わされてきたと言う。
 同じみことばを聞いて反発も起ころう。しかしもしイエスが神から来た救い主であると認めるなら、この恵みの言葉は今日にも実現する力あるものである。