伝道は、必ずしも落ち着いた状況で初めて進むものではない。今日の箇所では牢獄で主の業が成され、結果的に看守とその家族が救われる。牢の鎖も主のみことばを留めておくことができないのである。
パウロ達は失望しそうな状況にある。主に従ってピリピの町に入ったが、いわれのない罪を着せられ牢獄に入れられたからである。不当なのはローマ市民でもある彼らのために裁判が開かれず、禁じられていた鞭打ちまで経験させられたことである。パウロとシラスは真夜中の牢獄で祈り続ける。すると不思議なことに心に平安が広がった。神の前にある事実、かつての姿と対照的な失われることのない祝福、神が知っていてくださるならばそれで十分との平安がパウロらの口から賛美になって溢れるほどになった。囚人はそれを聞き性質が変えられる。地震で牢獄が開いても誰一人逃げようとしなかった。地震すら神の圧倒的な力を証ししたのだ。
看守はそれらを目の当たりにして救いを渇望した。苦難の時こそキリスト者に与えられた宝が光る。苦難の只中で私たちも祈りたい。