2017年7月30日「一粒の麦が死ねば」

2017年7月30日「一粒の麦が死ねば」

聖書箇所:ヨハネによる福音書 12章20~26節

佐藤 優子 伝道師

さて、祭りのとき礼拝のために上って来た人々の中に、ギリシア人が幾人かいた。この人たちがガリラヤのベツサイダの人であるピリポのところに来て、「先生。イエスにお目にかかりたいのですが。」と言って頼んだ。ピリポは行ってアンデレに話し、アンデレとピリポとは行って、イエスに話した。すると、イエスは彼らに答えて言われた。「人の子が栄光を受けるその時が来ました。まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。自分のいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。私に仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。

聖書 新改訳©1970,1978,2003新日本聖書刊行会

 

生来人のために生きることを好まない私たちは、「与えれば受ける」との神の法則を聖書から教えら
れる必要がある。

時は過ぎ越しの祭りの時期。熱狂的にイエスを迎えた人々の中にはギリシャ語を話す敬虔な異邦人がいて、彼らはイエスに会いたいと願い出てきた。全世界の救い主であるイエスは、この願いを聞いて今こそ十字架の時(栄光を受ける時)が来たことを悟った。「栄光」と聞いて弟子たちはイスラエルがローマから解放されることを予測した。しかしイエスは地位と名誉とは全く別の栄光について言われたのだ。十字架の死と復活を通して人を滅びから救い、死んだ後復活されることにより私たちに命を与えようとした。さらに死を打ち負かすことを通してご自分が神の御子であることを示される。そのように十字架で最も低くされた時、最も高く力ある御子であることが証されるのだ。一粒の麦の譬えは身代わりに死ぬイエスにより多くの人が救われることを説明する。

イエスはご自分に従う人々にも自己保身を捨てるよう言われた。私たちは、自己実現という自分の命か永遠のいのちかを選ばなければならない。イエスが十字架で示されたように、私たちもいのちをイエスに奉げれば決して滅びぬ永遠の命をいただくことができるのだ。イエスに従う者は一粒の麦のようになり、永遠の祝福を得る。