2017年8月13日「困難に遭っても」

聖書箇所:使徒の働き 13章13~15節
熊久保 公義 師

パウロの一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰った。しかし彼らは、ペルガから進んでピシデヤのアンテオケにいき、安息日に会堂にはいって席に着いた。律法と預言者の朗読があって後、会堂の管理者たちが、彼らのところに人をやってこう言わせた。「兄弟たち。あなたがたのうちどなたか、この人たちのために奨励のことばがあったら、どうぞお話しください。」

聖書 新改訳©1970,1978,2003新日本聖書刊行会

 
パウロは一見向かうところ敵なしで、疲れ知らずの宣教活動をしているように見える。しかし本日の数節の間にも様々な種類の困難を経験していた。まず助手ヨハネ・マルコの離脱である。宣教の困難さに足がすくんだのかもしれない。あるいはチーム内の体制に不満(リーダーが親族のバルナバからパウロに代わった)を覚えていたからか。パウロにとって仲間の不満、離脱はダメージとなっただろう。加えて環境の劣悪さがある。次に向かう地ピシデアのアンテオケは高地にあり、湿度の高い地域でもあった。マラリアも流行っていたとの情報もある。パウロ自身、肉体が弱くなっていた(ガラテヤ4:13)。内部の分裂、環境の厳しさ、体調不良、キリスト者であっても気落ちしておかしくない。
しかしパウロはマルコのように働きを中断する決断はしなかった。なお宣教地目ざして進み続ける。その原動力は彼の会堂での説教(16節以降)に垣間見える。彼は職業意識で宣教していない。信じている内容自体を味わうほど、彼は感謝にあふれ、是非ともこのメッセージを他者に伝えなければの思いに満ちている。信仰に加えて別の原動力が必要とされるのではない。信じている内容の中に主の業に仕えさせる力も含まれているのだ。良き働きをするのに疲れてはいないか?もう一度福音を味わおうではないか。